(c)2001 Catear All Rights Reserved.
Brief14 「凹凸のない顔」(1):写真は必ずしも写「真」じゃない


 ここまで、体型から男の記号を消し女の記号を表現する方法について、おおよそのことは書いてきました。今回からはしばらくは「顔」の話をしましょう。
 ただ、今回も、まず言い訳から始めさせてください。

 言い訳その1。
 私のホームページなどに貼ってある写真の顔がそれなりに女に見えるとしたら、それは、たぶんにデータを軽くするためにやっている画像の縮小とJPEG圧縮のおかげです。デジカメで撮ったままの高解像度で見ると、いやになるくらい「男の記号」丸出しだったりします。その点では、データの軽さが重視されるインターネットというメディアだったからこそ、こんな姿をさらす気にもなったのです。

 言い訳その2。
 顔について、私は、写真撮影のテクニックで、身体以上に“ごまかし”をやっています。特にライティングやカメラの明るさ補正などを駆使して、「男の記号」を隠すことに血道を上げています。
 たとえば、右の写真は、たいした工夫もせずに、カメラの内蔵ストロボだけで撮ったものです。ですから、かなり見苦しい顔になっているでしょ。(本当は、こんな写真は載せたくないのですが‥‥。)

 顔を見た第一印象で男と女のちがいを判別する記号は――Brief4あたりで書いた「目」を除けば――おおよそ2つあると思います。ひとつは、顔全体の凹凸。そしてもうひとつは、肌のきめ細かさです。
 肌については、またあとで書きますが、ここでは、顔の凹凸の“ごまかし方”について書くことにします。

 たとえば(これもあまりクローズアップしたくない画像ですが)、左の写真を見てください。屋外の強い光の中で、その光線を上方から浴びて撮ったりすると、男の顔は、どうしても凹凸が目立ってしまいます。
 子供の頃は、男女の顔のつくりにそんなにちがいはないのですが、第一次性徴を経過した頃から、だんだんちがった方向への発育をはじめます。
 いちばん問題なのは、頭蓋骨の形そのものがちがってくることです。男の場合、顔面の骨が何カ所か出っ張ってきて、30代になる頃には、それがかなり目立ったものになります。

 ひとつは眼孔の上側、つまり、ちょうど眉のあたりの骨です。ここが前にせり出してきて、要するに、フランケンシュタインの顔に近づいてくるのです。眉の下側については、多少なら「彫りが深い」感じになっていいのですが、これにしても、この写真のような撮り方をすると、影が眉を太く見せます。
 さらに問題なのは、左右の眉のあたりが出てくることで、その間の骨に窪みができること。これが「眉間のしわ」の原因になります。
 もうひとつはほお骨。男の場合、この骨が、だんだん横に広がった感じになってきます。  さらに、あごの骨も人によってはエラが張ったり、あるいはあごの先が平らにつきだしてきたりして、女性のすらりととがったあごから遠いものになっていきます。
 その上、ほおについていた脂肪が落ち、さらに年齢を重ねてくると筋肉もたるんでくるので、そんなふうに出っ張った骨にそって、窪みや深いしわが出てきたりするわけです。

 その出っ張り方や窪み方が一カ所だけなら、(たとえば腕やウエストのところで書いたように)それが目立たないアングルから撮るというようなこともできます。でも、これだけいろいろな方向に出っ張ったり窪んだりしていると、そうもいきません。
 で、こうした顔のでこぼこを目立たなくする方法は、けっきょく、「顔に影をつくらない」ということです。
 要するに、出っ張りや窪みは、目で見た場合、あるいは写真で撮った場合、光と影のコントラストによって認識するわけですから、そもそも影をつくらないようにすれば、それがわからなくなるという、いわばあたりまえの理屈です。

 写真を撮る時、顔に影をつくらないいちばん簡単な方法は、「とばしてしまう」というものです。できるだけ顔全体に光が当たるようにしておいて、「絞り」や、あるいはそういう機能が付いているデジカメの場合は「明るさ補正」をプラスにすることで、思いきり画面を明るくしてしまえば、顔の窪み部分やシワが白くとんで、目立たなくなります。
 それは、屋外の強い光線で撮るような場合も同様で、顔をできるだけ光線に向け、明るさ補正をかければいいわけです。

 ところで、こんなことばかり言っていると、「こんなのはしょせんごまかしであって、やっぱり現実とはちがうじゃないか」という声も聞こえてきそうです。
 で、ここで、私が最も力を込めて言いたい第3の言い訳です。

 言い訳その3。
 では、なんの細工もせずに撮った写真は、本当に現実そのまま――つまり「見た目のまま」を写し取っているのでしょうか?

 女装者の方がよく「鏡の前でメークしている時はうまくいったと思っていても、写真を撮ると、その現実にショックを受ける」というようなことをホームページに書いていらっしゃいます。
 でも、それは、「写真というものはありのままを写すものだ」という誤解があるから起こるショックなのだと、私は言いたいわけです。
 もちろん、旧来のフィルム式カメラにしても、デジカメにしても、カメラメーカーは、できるだけ「見た目」に近づけて写るようにカメラをつくっています。
 でも、カメラは、やはり人間の目にはかないません。ひとつには人間の目ほど精密ではないから。もう一方では、人間の目ほどいい加減ではないからです。

 たとえば、強い光の中でものを見るような時、人間の目は視点の動きに連れてじつにダイナミックに露出調整します。明るいところを見ている時は絞りを絞っている状態ですが、視点の中心が影の部分に移ると、すぐに絞りを開け、その影の中の細部を見ようとします。けっして写真のように「一枚の絵」として、同一の露出で見ているわけではないのです。つまり、そんな強い光の中でも、人間の目は写真ほどコントラストの強い画像としてはとらえていません。顔の影も、写真ほどには強い印象にならないのです。
 一方、人間の目は、このエッセイの最初から書いているようなモノや人の「記号」をとらえる能力に優れいます。ということは、逆に言えばそうした「記号」以外の部分については、簡単に見逃してしまうということでもあります。
 写真のようにすべてのディテールを均一に正確にとらえているわけではなく、たとえば前に書いたように目の印象が強ければ、そこに視線が集中し、他は目こぼしするのです。
 鏡の前ではそれなりによく見えたのに、写真だとひどく見えるというのは、そういう理屈でもあるわけです。
 人の目で見たままがリアルだとするなら、写真はけっしてリアルではありません。立体を平面の「絵」にする以上は、かならずどこかに“ごまかし”が存在します。
 ここで言っていることは、その“ごまかし”を、マイナスにでなくプラスに利用しようというだけです。

 ‥‥と、究極の言い訳をしたところで、次には、顔の写りをより「人の目」に近づけるような(?)もっと高度な“ごまかし”へと話を進めましょう。


次を読む もどる

ご感想・ご質問などは→柴野まりえのBBSページ

Trans'繧ケ繝医シ繝ェ繝シ繧ケ繧ソ繝繝繧キ繧ケ繝繝繧ュ繝」繝ゥ繧ッ繧ソ繝シシ「シ「シウLink
螂ウ陬繝ャ繝繧ケ繝ウShop縺雁撫縺蜷医o縺

(c)2001 Catear All Rights Reserved.
縺薙ョ繝壹シ繧ク縺ォ菴ソ逕ィ縺輔l縺ヲ縺繧狗判蜒上サ譁遶縺ョ辟。譁ュ霆「霈峨r遖√§縺セ縺吶

Trans' 縲懷ヵ縺ィ縺ゅ◆縺励ョ蠅逡檎キ壹
縺ッ縺倥a縺ォ
繝医Λ繝ウ繧ケ
繧イ繝シ繝邏ケ莉
繧ケ繝医シ繝ェ繝シ
繧ケ繧ソ繝繝
繧イ繝シ繝繧キ繧ケ繝繝
繧ュ繝」繝ゥ繧ッ繧ソ繝シ
繧ウ繝溘Η繝九ユ繧」繝シ
謗イ遉コ譚ソ
螂ウ陬繝ャ繝繧ケ繝ウ
繧キ繝ァ繝繝
縺碑ウシ蜈・
繝ヲ繝シ繧カ繝シ繧オ繝昴シ繝
縺雁撫縺蜷医o縺
髢狗匱蜈
繧ォ繝繧」繧「
(c)2001 Catear